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ポルトガルと思いきやカスティーリャ王国のお菓子
カステラの起源、ルーツは長崎にポルトガルから入ってきたポルトガルのお菓子と思いきや、歴史的な起源と経緯をたどるとカスティーリャ王国で食べられていたお菓子にたどり着くきます。今では日本に伝播された南蛮菓子の1つとして、フランシスコ・ザビエルが持ち込んだ説が有力。今回はカステラに関する起源、カステラの意味などを解説しますね
カステラの起源&ルーツ~カスティーリャ王国のお菓子~
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ポルトガルから長崎へ
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ポルトガルでパン・デ・ローというお菓子が原型
カステラと言えば、長崎。長崎名物の小麦粉と水あめを混ぜ、焼いた和菓子の1つです。見た目の通り日本で生まれたお菓子ではないと、ご察ししますが、カステラは和菓子に分類されています。では、どういった経緯で、どこの国から日本に伝播されてきたのでしょうか。カステラの起源とルーツ、由来からカステラにまつわる様々な説を解説しています
カステラの長崎伝来~カステラはフランシスコ・ザビエルから伝わる~
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長崎のカステラは誰が日本に持ち込んだの?
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「1549年、フランシスコ・ザビエルが布教の為、日本を訪れる」
1543年に種子島に鉄砲が伝来後、1549年にイエズス会のフランシスコ・ザビエルが布教のために日本へやってきました。この時期より、南蛮菓子も渡来しカステラが広まったとの事。ザビエルは当初、鹿児島にたどり着きますが、何故、長崎でカステラ?という部分までは、明確な理由は不明です。当時の貿易が可能な都市が長崎であった為、伝えられた南蛮菓子も長崎で流行したのかもしれませんね
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南蛮菓子「カステラ、コンペイトウ、ボーロ」
当時、日本に伝わったお菓子と言えば、この3つ。どれも南蛮菓子でポルトガルからやってきました。この3つとも下記で説明するカスティーリャ王国にあったお菓子です。長崎は、水飴も有名ですよね。ポルトガルから伝わった南蛮菓子が長崎の今の名物になっている事からもかかわりは深いのです
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カステラの原型「ポルトガルのパン・デ・ロー、スペイン語のカスティーリョ」
カスティーリョという言葉は、スペイン語で「城」という意味もあり、カステラはお城の意味と言う説もありますが、ポルトガルにあるパン・デ・ローというお菓子が、カステラの原型ではないかという説があります。ポルトガルの修道院では、お菓子作りがさかんで、パン・デ・ローを改良してカステラになった可能性もあるようです
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カステラの意味「カステラ=カスティーリャ王国のお菓子」
現在のスペイン北部にあるカスティーリャ地方にあったカスティーリャ王国のお菓子がルーツと言う見方が有力説、このお菓子はカスティーリャ王国のお菓子という意味でポルトガル人が説明したのであれば、確かにカステラというお菓子はスペインのお菓子になりますね
カスティーリャ王国は現在のスペイン北部の地域。どちらにしても、日本にカステラを持ち込んだのはポルトガル人で、お菓子そのものは現在のスペイン発祥と考えるのが妥当かと思います
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昔の日本人「カステイラ ⇒ カステラ」
今では、カステラはカステラと発音しますが、昔はカステイラと日本人は呼んでいました。この事からも、 「カスティーリアの発音」が「カステラ」となったと考えるのが妥当ですね
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